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研究ノート「都市のインテリア」  
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  003「一緒に食べる」 Public eating            「人間家族展」より
 
 
            
             
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   洗練された人間関係の構築に腐心するビジネス街の住民も納得する、絶妙な距離感の食事空間を提供するレストランチェーンOT屋。食事処の定番である二人掛け、四人掛けテーブルの他に、一見ハレの会食を思わせる大テーブルを設けている。しかし彼ら彼女らは一人かせいぜい二人連れの客であって、グループではない。今日とかく問題化される個食の集まりなのである。今評判のうどん屋の個食席は壁に向けて設けられているし、たまたまできた中の島テーブルも、前の客との視界を隔てる目隠し(そういえば図書館にもある)をわざわざ設けて個食席化している。客同士で目線が合うと、気が散るとか危ない(何が?)とかの常識が業界ではあるのかもしれないが、「孤食」を強いられているようで少々わびしい。
 では、この大テーブルでOT屋は何を実現しようとしているのか。筆者はこの風景に感銘を受け、「都市のインテリア問題」の解決に役立つ「何か」が隠されていると感じているのであるが、それは何だろうか。
 
    OT屋が大テーブルを導入した理由が二人掛け四人掛けテーブルに生ずる空席にあることは、レストランの経営者でなくても分かる。四人掛けテーブルは基本的に家族、仲間との共食用であり、これに相席を申し込むには勇気がいる。では二人掛けに一人で座っている席は個食に違いないのだから相席はフリーパスか-というと、組み合わせによってはなお難しいことになる。
  yyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyy 参考プラン 
 壁際ベンチが先ず埋まり、通路側の空席に「いいですか?」と声を掛けて座ってほしい…との店側の思惑がうかがえる。
 
   緊急時には話し合い助け合い、我慢し合う市民同胞かも知れないけれども、平和時には他人とは一定の距離を置いておきたい-と感じる「本能」については、アメリカの文化人類学者エドワード・ホールが、著書「かくれた次元The hidden dimension(みすず書房1970初版)のなかで議論を尽くしている。ホールの距離適性化理論「プロクセミクスProxemics」によれば<相席をためらう距離>は、人が他人との間にとる距離の大分類<公衆距離(近接相・遠方相)、社会距離(同)、個体距離(同)、密接距離(同)>の内、個体距離の近接相(1.5~2.5フィート)に当たる。「夫婦間なら問題のない距離」との解説は言い得て妙、込み合う時間帯においても空席ができる可能性が高い。だからOT屋では、ビジネス街に多い個食者向けにこの大テーブルを設けたのであろう。隣り合わせ背中合わせで座ると、距離問題は一旦消える-というのは、人は知覚の大半を視覚に拠っているから-とのことである。肘が当たらない間隔が確保されるなら、残る問題は向かい席との間隔であり、巾900ミリ合板2枚のテーブル巾が選ばれた。この間隔は個人的関わりが消滅する社会距離に分類される。
 
   人と人との距離こそ環境の最小単位であることを(人・間!)、ホールは気付かせる。プロクセミクスは都市のインテリアの基本原理あるといえる。もちろん住まいにもプロクセミクスは存在するはずであるけれども、住まいの場合は家具道具が持ち主の存在を代行しているので、裸のままのプロクセミクスは案外存在しない。
 Proxemicsは生物生態学を、より具体的に言えば動物のナワバリ行動を下敷きにしているので、分かりやすい代わりに、単純すぎるきわどさも危惧される。文化人類学者であるホールは、単純明快な距離感メジャーを提示した後で、民族文化間での相違、あるいは文学表現にみられる人の個性による相違についても、多くのページを割いて慎重を期している。先ほどのメジャーはアメリカ東部の人を念頭に置いた結論とのことであり、日本人は欧米人からはよく<雑居に強い民族>と評される。

 人と人との<ふれあい>をホールはinvolvementと呼び、研究の目的を確認するキーワードとして繰り返し多用している。結果的にその意味は包括的であるので、訳者もあえて訳語を与えずそのままインボルブメントと表記し、読者の判読にゆだねている。
 OT屋の大テーブルで感じた「何か」は、言ってみれば<インボルブメント>ではなかったか-と思われる。卓上の鉢植えが、触媒の働きを果たしている。
 
   ところでproxemicsという見慣れない英語について-筆者は最初に目にした時、ラテン語を使った学術用語と納得したのであるが、バルセロナオリンピックの前に訪れたスペイン・バルセロナの地下鉄で、「次の駅は・・・」というところで「プロキシマ・エスタシオン・・・」と連呼するのを聴いた。スペイン語ではnext程度の意味だったことが分かって親しみを感じ、以後はこの語を忘れなくなった。 
 

  リンク: 「かくれた次元」
  http://www.msz.co.jp/book/detail/00463.html                         
                             
  C.アレクザンダー「パタン・ランゲージ」 からのコメント                    
182 食卓の空気 EATING ATOMOSPHERE
 人が共に食事をするときは、心が一つになる何かが要る-そうでなければさっさと出て行ってしまう・・・、客がリピーターになるかどうかと分かれ目がここにある。この章でアレクザンダーが指摘する何かは「灯り(ダウンライト)」であり、別の章では「色彩」「バラバラの椅子」「作り付けの腰掛」などが取り上げられるが、「大テーブル」は出てこない。新ネタである。  
    
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  日本インテリア学会中国四国支部