Jic’s
研究ノート
インテリアデザイン
2008支部総会パネルディスカッション
「壁に穴を開ける」
002


■趣旨説明
■店の開口部
■<窓>と<入口>
■壁を破って世界に
■シュレーダー邸の実験
■家族コミュニケーションの窓
<back

/
趣旨説明「壁に穴を開ける」
灰山彰好
(studio HAIYAMA)

 前任校での経験。住宅設計の課題で、インテリアに片足かけた学部の設計教育ということで内観パース提出を義務付けた。すると「これでいいんですか」と、私室片隅のベッドを描いた。「まさかね」と答えたが、なぜこんなことにと反省、これはもしかしたら今話題の引きこもり症候群?

 建築系大学の製図室では、パブリックとプライバシー(C.アレクザンダー)、内外空間の相互貫入(コルビジェ)、名作はワンルーム住宅から(メンデルゾーン/中村好文)・・・等々いつも「心に広場を」と唱えてきたはず。これでは三大巨匠をヘッドにいただく20世紀住宅近代史の遺産が反古になる。
 なぜ学生が勘違いをしたか、それは教師が勘違いしたから。インテリア教育を請け負うと当然パースは内観パース(外観パースに対応する造語か)ということになり、1点透視でもよい、私室でもよいといって、住宅が背負うべきテーマが自然と矮小化される。インテリア−内なる・・・という語の魅力か、魔力か、それとも拘束か。

 かって「都市住宅」という名雑誌があったように、都市と住宅はテーマとして不可分、だが力が入るにしたがってハナシが大きくなり、反比例して縮尺が小さくなる(例えば1/500)傾向がある。だからこの傾向を批判するなら、住宅から都市を考える、捉える視点が欲しい。そこで「壁に穴を・・・」。
 −そういえば先ほどの学生には、ドアを開けて私室から隣のリビングルームを臨み2点透視で描くように、パース(遠近法)とは近景と遠景を描き分ける図法だから、とアドバイスをしたっけ。

 へたな設計は決まってへやの羅列、教師は学生にもっと空間を活かせ、とアドバイスする。デザイナーはどなたも壁を破る方法について一家言持っているもの。幸い支部では、住宅内外の境界領域を分析的に捉える学位論文が生まれた。座長は決定、みんなで住まいの逼塞−引きこもり−状態をぶちやぶる熱心な討論を!
 
return
/
店舗開口部周りのデザイン
平田圭子
(広島工業大学)
 
 店舗開口部のデザインは、内と外を繋ぐインターフェイスの役割を備える。店の開口部周りには様々な要素がある。開口部自体である出入り口、ショーウィンドウのデザインはもちろん、日よけテント・オーニング、店の看板−突き出し看板・スタンド看板、照明、植栽、ベンチ・チェアetc.・・・。形や大きさ、色や素材によって強弱をつけながら、店主の領域(ナワバリ)、コンセプトやその場に蓄積された「時」を外に伝え、街並みの表情をつくってゆく。

 研究室で行った調査によると、学生は目的の店に買い物に行くとき、途中ほかの店の開口部を外から眺めながら(覗きながら)、通りを回遊してゆく、との結果が得られている。店舗の開口部を通して見ることができるインテリア、つまり店主の領域、コンセプトが街の活性化に役立っているのである。

 広島市市街地のはずれに「地蔵通り」という、古びた店構えが残る街並み(商店街)がある。なぜか日除けテントが歩道いっぱいに覆い被さっている店舗が複数ヵ所あり、入り口は全面開放となっている(写真左)。歩道街路樹の木陰には、店主が休むための丸椅子が置かれ、趣味の鉢植えが並べられている。地蔵通りに出かけるといくつかの日除けテントの下を歩くことになるが、公共の歩道であるのに、何十年もそこで陣取っている店主の領域に申し訳なく、お邪魔する気にさせられる。あまりに店が開放的であるために、つい店内の様子を窺って店主と目が会ってしまう。

 地蔵通りは、全国展開する店が並ぶよく整備された商店街ではないが、そこには確実に、その土地に根を張って地域とのコミュニケーションを築いている商店主の顔が見える。今はどこの都市にもありそうな標準的な商店街と街並みが多すぎる。自分がどこに居るのか分からなくなる。全国展開のブランドの顔が見えても店主の顔が見えず、その場(土地)が感じられず、仮想現実の世界に居るかのような錯覚すら覚える。

 店主の思いが詰まった領域を街並み全体に広げ、個性的な店舗を回遊する楽しみを通行人に伝える。店舗の内から外を見るだけでなく、関わる空間の因果関係を考慮しながら店舗開口部をデザインする視点こそ、今必要だと考える。
 
参考:右は福山久松通り
 
return
/
<窓>と<入り口>
日高卓三
(Hidaka Design)
 
 「壁に穴」とくればまず<窓>。インテリアにとって<窓>は必須。<窓>は日差しの動き、雨模様、薫る風、景観などを取り入れる。手術室にも<窓>を採った病院。新たなアイデアを挑発する美術館の<天窓>。高層ビルにもエコロジカルな<風の窓>。
 次の穴は<入り口>。インテリアにとって<入り口>は必須。人の出入り、動物、物、光、音の<出入り口>。扉のない迷路状になったトイレの<入り口>。出入りするものを選別するさまざまな<gate>、流れるような動線を保証するような<入り口>。可動間仕切りによる空間の変化を備えた<入り口>。などなど
 
写真左:フィッシャー邸/L.カーン
写真右:居間に集まったカーンの3異母姉弟
 
return
/
壁を破って世界に!
山本 
(カーサ商業建築研究所) 
 
インテリアを広辞苑で調べると「室内装飾」とある。
 決して室内の装飾だけがインテリアではない。「生活をデザインする」ことがインテリアデザインと思ってやってきた。生活を豊かに過ごすためのインテリアであれば、住まいだけではない、住まいの周りの社会環境や仕事場、買物や友人と楽しく過こすための街や商業施設なども含まれる。インテリアプランナーの役割も生活全体の社会環境から、最近は地球環境まで含まれていき、範囲は−気に広がってゆ<。
 私自身は商業施設の設計を主に手がけている。店舗のインテリアデザインは、めまぐるし<流行を追うものがあった。インテリアデザインも最新の流行のデザインで着飾り、斬新さと奇抜さで話題を提供しながら人集めや売上のための手段となっていた。
 確かに商業空間のテーマは、経済的尺度であったし、デザインが事業に利用され、短期間で高い収益を上げることが最大の使命であった。街や店舗のデザインが面白さや経済尺度だけで判断され、人の心に関わるデザインの大切さを忘れ、デザインも物を消費するがごとく消費され、商取引だけの場でしかない空間として、寿命の短いものとなっていた。
 インテリアが「生活をデザインする」ことであればデザインの意味性やデザインがどんな価値を生み、社会的な意義があるか考える必要性があるし、新たな生活文化を育てる思考も必要となってくる。
 私達商業施設のインテリアプランナーもモノを形にし、空間を造れば良かった時代は去った。企業の理念を理解しながら社会環境を含む領域から眺め、企業を生かし、人々を生かし、環境を生かす。それを生かすデザインとは如何にあるべきか考慮しながら時代の先見性と新しい文化の創造者として、企業の理念づ<りや人々の生き方、環境のあり方など、幅広くデザイニングする必要性がある。
 我々は近代以降、あまりにも西欧文化に熱心になりすぎて、日本の素晴らしい文化遺産を忘れてきた。日本の自然観は世界に誇れる素晴らしい美学だ、不統−の美学は統−を崩し、裏に秘められた神秘性を美学として捉える。余白の美学や間合いの美学も、美意識を「人の心で感じて」頂<ことが最も大切なテーマとして育まれてきた。日本に対して経済だけでな<、日本のアイデンティティとしての文化や美学、思想が評価され、美しいデザインや環境が求められている。
 インテリアプランナーは「自然を生かし、人を生かす」・「もったいない」そんな美意識と理念を掲げて世界に貢献する時が来た。さあ壁の穴から眺めるのではなく、壁を破って世世界に踊り出ては如何か。
 
世界のインテリア
写真左:街のデザイン「広島中の棚商店街」
写真右:鉄板焼きのコーナー「日本料理店やしま・バルセロナ」
 
return
/
部屋からスペースヘ/インテリアデザインの近代
シュレーダー邸を題材として
灰山 彰好
(Studio HAIYAMA)
はじめに
 「かたちから機能へ」とは近代を模索する建築家、あるいはそのタマゴに発せられたL・サリバンのメッセージである。老成したタマゴである私は、これに「部屋からスペースヘ」なる一行も加えたい。
 住宅の近代化過程で日本は欧米から個人主義を学び部屋の独立を腐心したが、欧米はと言えば住宅から壁が消えて狂喜乱舞、スペースデザインの時代が到来したことを確信し、日本住宅を大いに参考にした。時代は一転して日本住宅も壁式で建ち、スペースを感得する力に衰えが見える。この報告はスペースデザインの意義を、近代住宅最大のメモリアル、シュレーダー邸の中で再確認しようとの試論である。

シュレーダー邸の出来事
 この邸宅はデ・ステイルに傾倒したリートフェルトが、キヤンパス上の構成主義を、実際に住めるように実物大に普遍拡大した傑作とされる。構成とは「意味を発生しないオブジェの意匠的原理」であり、本来は生活感を味付けするイス(Red&blueを含む)、テーブル、ベッドなどが、実用性を離れたオブジェとして平面構成の中に配置される。後のより過激なファンスワース邸の前哨戦と言えるが、実験住宅らしく夜間はふすまが閉じられて独立した寝室が確保され、つまり部屋とスペースの両方が味わえる設計となっている(fig.1)。
 ふすまを閉じた3図をfig.2に挙げる。壁に絵を、ふすまにポスターを、窓辺にミドリを、そしてRed&blueに脱いだ服を掛ければ、カジュアル系の快適さが表現できるが、しかし私的なテーマに留まるかぎり世界遺産登録には程遠い。
 Red&blueを一枚だけ撮るとすれば、姉妹デザインのDivan tableを背景にできるfig・3となる。ベッドからリビングを望むfig.4では、ふすまを解放した効果が最大限度感得できる。構成主義の意図を汲むならば、陰線処理をほどこさないfig・5が最善か。1階に下りる奇妙な階段も、リートフェルトや住む人には見えているはず。
 リビングダイニングから全室−フルスペースを望むとfig.6の通りである。CADではカメラでは得られない「引き」が得られ、様々なモチーフの錯綜か楽しめる。
 リートフェルトはこの住宅設計で、部屋ではなくスペースを設計しようと世間に(日本にも届いたから世界に)呼びかけている。しばしば「住めない」と批判される作家の住宅も、この路線の上にあるのではないか。わずかなクライアントしか獲得できない設計であるとはいえ、大学製図室ではよい教師であることは事実、よりユーザーに近い立場にあるインテリアにあっても、記憶しておきたい史実である。

結び
 壁に穴どころか壁が無い住宅が、ちょっと昔の日本には確かに存在した。自分の居所が壁やカギのかかるドアではな<、家族や世間との距離感で感得される住宅の存在意義を見直したい。環境の時代を見通すなら、ひとつ屋根の下の住まいを演出するソーラーハウスがヒントか。壁に穴の主題に帰るなら、ともあれ、一室だけを対象とする設計課題の出題は避けたい。

(注記)
このリポートは、筆者の2007年度東海大会報告「へやからスペースヘ」を、主題に合わせて要約したものです。


 * 図をクリックすると少し大きくなります。
fig.1 2Fplan fig.2Fplan
fig.3 fig.4 fig.5陰線未処理 fig.6フルスペースのパース
       
return
/
家族コミュニケーションの窓
浅沼則行
(広島工業大学大学院工学系研究科環境学専攻)
 
 現在の家族の形として、コミュニケーションの不足や父親と娘の関係といったことが問題として挙げられる。−緒にご飯を食べたり、一緒にテレビを見たりといったダイニングやリビングで過こす時間がなくなり、子どもは部屋にこもり、1人でテレビを見たり勉強をする。また、娘も成長するにつれて、性的意識の中で父親を汚いと感じ避けるようになっていき、コミュニケーションが無くなっていく。これは、家族の中で壁ができ、それを避けて通る習慣が生まれているからである。現在の住宅のほとんどは「内と外のつながり」を考えており、「内と内のつながり」のことは考えていないように思える。そこで、家族の中の壁を壊し、「内と内のつながり」を持たせることが解決する手段ではないだろうかと考える。例えば、子どもと親の寝室の壁に穴を開け、そこをお茶が飲める穴であったり、本を入れる穴であったりと、共有のスペースとして活用する。それにより、お互いの趣味を共有でき、コミュニケーションが生まれる。また、子どもの成長と共に変化するコミュニケーションの問題を考えると、子どもの成長に合わせ穴を増やしていく必要がある。それにより、常にコミュニケーションをとれるようになると考える。
 たとえば子供と親の寝室の壁に穴を開け、そこをお茶が飲める場所であったり、本を入れる場所であったりと、共有スペースとして活用する。それによりお互いに趣味を共有でき、コミュニケーションが生まれる。また、子供の成長とともに変化するコミュニケーションの問題を考えると、子供の成長に合わせて穴を増やしてゆく必要がある。それにより、常にコミュニケーションをとれるようになると考える。
 家族内の問題だけでな<、高齢化する都市の中で近所付き合い(コミュニケーション)といったことは絶対に必要となって<る。しかし、現在の高齢者は家に引きこもり、隣近所との闇に壁を作り、関わりを絶っている。それは、人生の経験の中で外との関わりを恐れるようになったからだと思う。これは「内から外へ」ではな<「外から内へ」71を開けることが必要だと思う。昔の住宅は縁側が飲んだり、おしやペりをする。そうすることで、その窓がコミュニケーションの壕となり高齢者に救いの手をもたらすと考える。こういったコミュニケーションの不足する現代で、壁に穴を開けることは人と人とを結びつけ、都市に光を与えるのだと思う。人は1人では生きられないし、助け合ってい<ことが大切だと思う。壁に穴を開けることで「内と内のつながり」や「内と外のつながり」を作っていく必要がこれからの住宅と都市に求められることだと考えるあり、そこでお茶を飲んだり、おしゃべりをしたりしていた。現在はそういう光景が少ないと感じる。そこで、隣近所の人が窓を叩き、呼びかけて、「内と外のつながり」をつくり、高齢者を外に連れ出し、お茶を飲んだり、おしゃべりをする。そうすることで、その窓がコミュニケーションの場となり高齢者に救いの手をもたらすと考える。こういったコミュニケーションの不足する現代で、壁に穴を開けることは人と人とを結びつけ、都市に光を与えるのだと思う。人は1人では生きられないし、助け合っていくことが大切だと思う。壁に穴を開けることで「内と内のつながり」や「内と外のつながり」を作ってい<必要がこれからの住宅と都市に求められることだと考える。
 
return

日本インテリア学会中国四国支部