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研究報告
日本家具文化考
A Study of Japanese Furniture Culture
001

Nov./2007
石丸 進
福山大学非常勤講師
学位請求論文から/6.16支部講演要旨
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1.はじめに
 日本の家具は「無家具の日本文化」(注
1)や「家具は漆器史や木工史のひとつとして取り扱われ,家具という視点や座標軸がないとする」(注2)考えがあり,そこには木檜恕一著『現代日本の家具』(注3)の序にみられる,「家具が建築学を離れた単なる家屋室内の設備だと考えられたのは,もはや過去のことである。現在の家具は何処までも建築の一部である」とする日本家具に対する捉え方の特徴が見られる。こうした日本的家具観の根拠を解明し要因を明らかにして,これからの日本家具文化の行方に寄与することが,この報告の目的である。


2.研究方法
 日本家具の形成の軌範となった中国古典家具と日本家具を比較して,名称・表記と構造・形状の相違を類型化し,そこに内在する日本家具文化の究明されていない特性を明らかにする


3.研究結果
 中国における建築と家具の関係は「建是表,家具是里」である。日本では「建築は表,家具は裏」と解釈され,家具の存在が隠蔽されている。中国建築の理念を表明する「表」に対して,建築室内と人生を充実させる「里」つまり奥という異質なしつらえの生活と空間をつくる家具が中国民居には共存している。
  家具という語は中国では晋代の歴史を記す『晋書』75列伝に見られる。日本での同義語は平安時代に見られる調度であるが,家具(Furniture)と調度(Furnishing)は同-ではない。漢語の調度は「配置」「按配する」で,家具を意味しないからである。
 この調度の名称・表記にみられるように,日本家具は表現に含みを持たせて,言外の余韻を残す候向が見られる。これは日本の家具に対する美意識,審美習慣とも繋がっている。以下にその事例を類別に述べ,家具文化の特性を解明した。
31 交椅と曲
 中国では交椅と呼ばれる椅子が宋代に出現した。折り畳み構造をしたもので,明代には別名圏椅(背凭れのある椅子),清代には大師椅があり,名称の違いと共に脚の形態が異なってきている。日本には『支那禅刹図式』などにより請来したが、円椅や俗に曲と変容し椅圏(背凭れ)の形態や接合技術が異なり,機能的に安定して坐れるものではない。
32 と机
 中国の几(き)は坐る時の凭れであり,凭几(ひょうき)とも呼ばれ,日本では脇息,挟軾といわれるものである。また,几は案几と呼ばれる案(あん,ものを置く台)の原形である。使い方で名称が異なる。日本では机に変容している
33 床・榻と床・縁台
 中国の床は寝台を意味し,長狭で低いものを榻(とう)と呼び,坐って身体をくつろがせるものである。日本では床はユカ・トコを示す。
 榻は日本の縁台や店棚(床几)と機能・構造が共通している。中国の榻には脚部間に格狭間(眼象)がみられるが,正倉院の御床や日本の縁台は正倉院の榻足几と同じように,加飾性が少なく素朴な構造に特徴がみられる。
34 衣櫃(いひつ,いき)と箪笥(たんす
 中国の板櫃と正倉院の古櫃,唐櫃に類似性が見られるが,蓋の形式と内部の機能が一部異なる。また,板櫃の脚部間には格狭間(眼象)の加飾性がみられるが,日本の櫃にはない。中国の衣類収納具を衣櫃や衣橱(いちゅう)というが,日本では箪笥に表記が変容している。漢語にも箪笥といわれる小物入れはあるが,衣類収納家具ではない。また日本では,竪櫃は厨子,長櫃は長持と呼ばれ,独自の変容と展開がみられる。
35 屏風と衝立
 日本では平安朝の調度部に屏障具がある。その中に屏風や衝立が含まれているが,衝立は衝立障子の略で一枚ものであり,二枚以上を連結させたものが屏風である。衝立の語源はツキタテの音便や上台と下台を継ぎ重ねたものの意で,中国の独屏に近い形成であるが,漢語には衝立という屏風は見当たらない。
 中国では屏風や屏障そして障子は同義語である。日本では,西周の斧扆や漢代の独屏の形成を,衝立障子として受容し日本化している。そこには,調度と家具との概念の相違が,独屏と衝立にもみられる。日本の屏風は中国の折屏や囲屏の形成を受容し,さらに衝立障子は中国の斧扆や独屏の形成を受容し,表現に含みを持たせて変容したものと考察される。
 書院造の内部を飾る床框式床の間の障壁画は,屏風(圍屏・折屏)と類似する形成であり,その源流は東漢代に出現した屏扆床や屏扆榻といわれる屏風と床・榻が結合したもと考察される。押板式床の間の押板は架几案や擱几そして平頭案と類似し,その日本化であると推測される。さらに,この推測を検証し立証したい。

4.おわりに
 日本の家具は中国古典様式の形成と名称を受容し日本化したことが明らかである。しかし日本化した要因には,言い換えによって真相を曖昧にし,結果的に本来の名称を隠蔽し日本語化した柔軟さもみられる。そのために,日本家具は季節的や一時的そして仮設的なものになり,安定的に配置され,主張性のある家具にならかったことが名称・表記から伺うことができる。
 そして,書院造の要素である床の間・棚・付書院(出文机)は,中国古典家具を組織的に整備し日本化したものとみることができる。このように,書院造は中国古典家具様式を受容して発展させ完成したものであり,ここに日本家具の文化性や芸術性の存在があり,日本家具文化の特性を明らかにみることができる。
注および引用文献
(1)村松貞次郎:家具の東西,住まいの文化誌,ミサワホーム総合研究所,2311987

(2)吉田光邦:工芸の文化史,日本放送出版協会,235-2361987
(3)木檜恕一:現代日本の家具,洪洋社,1-21929.1



交椅
(
中国)





(日本)
几・
(中国)







(日本)

(中国)






縁台
(日本)
衣櫃
(中国)





箪笥
(日本)
屏風
(中国)






衝立
(日本)
*編集者後記
 講演の後の雑談でもっとうがった話が-。日本住宅ではなぜ家具を(この場合は椅子ベッドなど四つ足家具を)使わなくなったのか。もちろん誰でも知っているとおり、畳の敷き詰めを選んだから。つまり家中がベッドになったということ、だから日本語では、トコとユカを同じ漢字「床」で故意に混用している。しかし、畳室の床座姿勢は活動性に劣るし、だいたい年寄りにはきつい。したがって現代住宅では、畳室は正月用としてほぼ一室に極小化した。
 では現代住宅は洋室化したということ?決してそうではない-と思いたい。戦国時代劇で見るように、畳敷き詰めが一般化する前は、日本住宅は板敷(フローリング)だったのだから。畳と和室はとりあえず別の話しと納得したい。和室の本質は障子窓、ふすまを使った開放的なプランニングにあり、フローリングと紙障子は案外よく似合う。
 床の間、違い棚、押入は中国伝来の調度品が造作家具化したもの、これらは室町期以降の薄い天井板の普及以後、気軽に天井か゜設けられるようになってはじめて可能になった技術、と歴史書にある。
 和風日本住宅の空間的資質を活かしながら、活動的な椅子ベッドの生活を上手に復活したいものです。

日本インテリア学会中国四国支部